初瀬明生と小説とKDPと

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年には勝てぬ

年には勝てぬというのは、どうやらことわざらしい。ことわざらしくはないけど、ちゃんとことわざ辞典に載っていた。

意味はそのままで 「年を取ると、気力はあっても身体が言うことを聞かない。健康や体力が気力に伴(ともな)わない」というもの。

このことわざは本当に的を射ている。学生の頃にできていたものが、成人してずいぶん経つとできなくなるものというのはずいぶんと経験している。

まず肉が食べられなくなった。年を取り、脂っこい物が体を受け付けなくなったのである。

あとは運動。五十メートルを走ったところで息が切れる。本当に体力が無くなってきた。

そして睡眠。夜の十一時には恐ろしく眠くなる。

としで、勝ち負け云々という言葉を聞くと、ある人物のことが思い起こされる。

俊明(としあき)という男がいた。その男は昔から何でもできる男で、常にいろんなものに負けていた。かけっこも、給食の大食い競争も、恋愛も何一つ勝てなかった。性格も負けていた。

そんなある日のこと、高校時代以来にその男と会う機会があった。彼はどこで道を間違えたのか、はたまた挫折でぽっきりと折れたのか、大学に落ちて以来定職にも就かず、バイトで食いつないでいるという。

そこで俺は、自分の勤めている会社のことをさりげなく伝える。中堅であるが、年収は六百を越している。三十後半では自慢できるものでも無いかもしれないが、こいつ相手なら大丈夫だろうと高をくくった。案の定相手は、顔がひきつっていた。形ばかりのお別れを言い、その場をあとにする。ゴミ箱を蹴るような音がしたのは、決して気のせいでは無いと思う。

勝った! トシに勝ったのだ。ずっと勝てなかったあいつに、とうとう勝ったぞ。いや、相手が勝手に落ちたのか。だがそれでもいい。どうだ。ざまあみろ。

そんな優越感を抱けたのは、家に帰るまでの道だけだった。

本当に自分が醜くなった様に恥ずかしさを感じた。ざまあみろとは心の中で言ったが、彼からは何の嫌みも言われていない。それなのに俺は、自分の中で年を取るごとに肥大した劣等感が一気に取り払われて気分がよくなった。

理不尽な社会で世間ずれしたのもあり、よりいっそう人を見下すことに拍車が掛かったように感じる。トシは一回も、俺を馬鹿にするようなことは言わなかったのに。俺はまるでエーミールの蝶を盗んだ少年のような気持ちになった。

年には勝てない。今日の出来事を経験し、改めてそう思った。